更新日: 2018年1月7日
※画像整理・サイト移転に伴う再掲
http://news.livedoor.com/article/detail/8923436/
現在、日本の人口のうち、約5%ほどが同性に恋愛感情を抱く人たち、つまり同性愛者だといわれています。
ちなみに江戸時代、徳川幕府の5代将軍・綱吉がスパイに調べさせたところ、同性愛(以下、男色)
の傾向があったお殿様の比率は、日本全国の大名の中で約8%だったといわれています
現代の5%という数字に比べ、3%も多いわけです。これは昔の日本が同性愛に対し、寛容だった以上に、
「男色こそが、純愛の象徴だった」と理想化すらされていたからかもしれないのですね
大半の武士にとって、女性との結婚は、本人の意思とは無関係に生じてくる、いわば義務にしか過ぎませんでした。
側室の女性だって、本人の「好み」だけでスカウトすることは難しい。「ウチの娘でもご側室に、いかが?」
と押し付けられた末の関係も多かったのです。そもそも鎌倉幕府の時代から、武士の世界は女性関係にストイックなのです。
ですから、ホントの意味での「純愛」を経験したければ、男同士の関係しかなかった、といえるのです
戦国時代の武将には特別な寵愛を与える家臣がいたというエピソードを聞いたことはありませんか?
有名なのは、織田信長と森蘭丸の関係です。武士には男同士の固い絆をある意味、美化する傾向がありました
戦国時代と共に乱世が終わり、徳川幕府が生まれても、この傾向は衰えず、むしろ進化しました
こうした(おもに)武士同士の男色のことを、「衆道」と呼びます。「今でいう、ゲイのこと?」と思うかもしれませんね
間違ってはいませんが、微妙に違います。男女の夫婦の縁が3世…つまり3回、生まれ変わっても続くと言われることに対して、
「衆道」ではなんと7世! 7回生まれ変わっても、まだ結ばれる相手っていうんだから、相当な覚悟ですわな
たとえば「衆道」ではお互い、これだ!という運命の男性を見つけた場合、彼のことだけを本当に、永遠に、愛し続けなければなりません。
たとえば江戸時代でも、平賀源内のように女性嫌いを公言し、複数の同性の恋人を持ち、浮気な恋愛生活を楽しむタイプの男色に生きる男性もいました
フツー(?)の男色というやつですね。しかし、「衆道」はあくまでストイックなタイプの男色だったわけでございます
「衆道」では相手に愛を疑われた時、身体を張って、愛の証明をせねばなりませんでした。たとえば、小刀を膝に突き刺して見せたりしたんですね。
晩年の伊達政宗も、ある酒の席で、恋人の男性に「浮気してるだろー?」など軽口を聞いたところ、彼に激怒されたことがあります
そして「僕の潔白を証明します!」などと彼が刀を膝に突きつけてしまうのですね
政宗は男女ともにモテるし、浮気な男性でした。その後「痛かっただろ~」とフォローの手紙を送りつつも、
「でも熱烈すぎるのは困るな~、オレは孫もいるしさ~」とかなり困っている様子が、政宗からその男性に送られた手紙からヒシヒシと伝わります
この手の自傷系をふくむ、愛の証明を「心中立て」と呼びました。愛の証明のためには
死すら恐れたりはしません(このため、「衆道禁止令」が幕府から出されたことも)
現在の日本でも「心中」という言葉はのこっていますが、生きていては結ばれない二人が死んでしまうことだけを「心中」というのではなかったのですね。
あれは心中立ての最後の段階の話でした。その前段階のひとつとして、「小刀を膝に突き刺して見せる」などが存在したのです
「衆道」、つまり男性同士のコアな愛の証の立て方は、ある意味で評判となり、なんと吉原の遊女によってマネされたりもしました。
吉原は単純な風俗街ではなく、あくまで理想の愛の幻想を売り買いしていたのですね。吉原は現在のホストクラブのように、
永久指名制でした。ある遊女とお客が「馴染み」になってしまったら、(お客の)浮気は絶対にNG。
真剣な気持ちの証明として、衆道の「心中立て」の一部が、吉原にも取り入れられたんですね。
まさに例の小刀を膝に突き刺して見せるアレ、などです。他にも、吉原の遊女が好んだ「心中立て」には、髪の毛を一房切り落とすなどがありました。
また、一般庶民の間でも心中事件が相継いだので、幕府から「心中禁止令」が出されたほどになりました。
江戸時代も衆道つまり、男性同性愛者の数は多くはありませんでしたが、彼らの愛することの誇りを命よりも重んじる美意識、
そしてそのシリアスすぎる愛のお作法は、世間の一般庶民にも影響を与えていたのです。現代女性の場合、
アレもコレも、とメンズを減点法で選びがち。でも「この人だ!」と本能的に思えるお相手を見つけられたのなら、
彼のことだけを一途に想い続けるのも手かもしれません
ゲイは身を助ける
つまり>>3だな
>>3
いやむしろ身を傷つけるだろ
よく読め
源氏物語全否定
>>4
源氏でもそれっぽい描写はあるけどな
♀に振られてその弟で代用とか
>>748
空蝉の弟と寝たって話だね
そういう意味か、添い寝か判別つかなかった気がする
昔の武将はゲイって言うより、ショタコン
【これぞと思う相手ができたら浮気するな】
この一行でまとめろよ
陰間は粋で女は野暮
て言われてたんだっけか
信長と乱丸は、江戸時代の薄い本で人気カップリングだっただけで
当時の史料にそういう関係だったと記したものはありませんが
>>21
というか、乱丸ってなんで美少年だったんだろうか
あの森家なのに
>>27
信長様はガチムチ色黒が好みだと思うんだよなw
黒人奴隷にハァハァしてるしw
>>27
乱丸はガチムチだったっつー説あるで
森家に伝わる乱丸の鎧がでかかったらしい
>>21
日本て江戸時代から既に始まってたんだな…
>>33
平安時代からじゃ
薄いBL本は室町時代にもある
>>40
当時の者が今や貴重な(?)歴史的な方向での資料となっているのなら、
今売り買いされてるあれらも、数100年後には貴重な歴史的ななんかに?
男性向けのも北斎の蛸のみたいに、どっか外国で展覧会とか開かれたりしてるのかもと思うと面白い
>>56
そもそも紙が無くなった時代には木簡竹巻、下手すると石版みたいな扱いになるかも知れん
ほら元服式(立志式)に埋めたタイムカプセル、ちゃんと掘り起こしたか?10000年後読まれるかもしれんぞ。
インテリにしかわからない世界
って雰囲気で自慢だったんだろうな。
実際、当時の武将は物凄く勉強してたし。
>>29
なんて書いてあるんだろう
読めないのがもどかしい
>>29
さすが俺たちのご先祖様
>>29
史料として残ってるのが日本スゲェ
>>29
醍醐寺の秘宝、鳥羽僧正の稚児の草子じゃねえか()
舐めたらしょっぱかった、こっちは苦かったとか
書いてあるんだよなぁ(^.^)
>>80
知りとうなかった!
>>80
醍醐寺にそんなものあったのかw
>>29
これBLてよりもショタてか男の娘もんだろ
衆道の始まりからして稚児に女装させて~なんだから
男でも女でもない、ちんちん生えた女の子を愛でるのが本流だろ
時代劇「破れ新九郎(主演:萬屋錦之介)」の舞台である
内藤新宿は今の新宿2丁目である。
その影響なのか登場人物たちが作戦会議(?)をするときは
なぜか銭湯でほぼ全裸の格好で行われる。
とてもおもしろい作品なので機会があれば見てほしい。
>>41
うむ、早速メモったので、今度あったら見てみる
920 名前:日本@名無史さん [] 投稿日:2006/04/19(水) 00:09:03
平安の大物ホモ藤原頼長の日記「台記」の研究を読んでるんだけど
「受領讃」こと大僕卿孝標とかいう男が笑えた。
孝標日記(仮)
1. 頼長から手紙でしつこく言い寄られる。うざい。無視。つーか俺には愛する妻もいるし。
2. このまま無視し続けるつもりだが、どうやら俺とヤりたいがために坊主に加持祈祷までさせてるらしい。キモすぎ。
3. 元上司の藤原忠雅さんは頼長の愛人の1人だったらしく、俺と頼長の仲を取り持ってポイントを稼ごうとしてやがる。
これはかなり断り辛い。最悪。
4. しかたなく1回だけ会ってやる。会うだけだ。それに忠雅さんも同席してもらって3人で。妙なことにはなるまい。
5. 忠雅さんが頼長と別れたらしい。なんかかなり嫌な予感がする。
6. 頼長のやつ調子にのって、今度は陰陽師に祈祷させてるらしい。テラキモス。つーかストーカーだろ完全に。 1度会うだけの約束だったじゃねーかよ。祈祷のせいか最近夢見が悪い。
7. 久しぶりに忠雅さんから呼び出されたので、何の用かとおもって家まで行ったら、ニヤニヤした顔の頼長がいた。
畜生、ハメられた。
って言うかこの日は忠雅さんの手前、断りきれずにとうとう実際に「ハメ」られてしまった。ケツが痛ぇ……。痛ぇよ…。
8.妻が難産で死んだ……。子供も死産だった。欝だ。俺も死にたい。
とか言ってる矢先に、玄関先まで頼長が来てるらしいと従者から連絡が。馬に乗って駆けつけてきたらしいが「空気読め」と百万回言いたい。
なんでこんな奴が藤原氏の氏長者なんだクソが。
馬より鼻息荒らそうで想像するだけでキモい。顔も見たくない。
もちろん追い返すように従者に言った。はぁー。
8. 妻が死んでからは頼長も言い寄ってこなくなった。さすがに俺の胸中を察してくれたのかな。
噂では今は年上の男と乳繰り合ってるらしいがもうどうでもいい。
9. と思っていたが妻の四十九日が終わった直後、忠雅さんと一緒に頼長がうちまで押しかけてきた。
思わず警戒したけど普通に2人してお悔やみを言って帰って行った。ホッとした。意外と常識はわきまえてるんだな。
10. 俺が甘かった。2日後にまた、頼長が今度は1人でうちまで来やがった。もちろんまた俺のケツを掘ろうと必死に迫ってきたよ……。
開き直って交換条件を出したらOKしてくれた。
クソーこうなったらとことんコイツを利用して出世してやるしかねぇ。ヤケクソだ。
>>50
なんか現代のリーマンに置き換えてもありそうなセクハラ…いやパワハラ?ものだな
OLと上司でもいいが
つか怖すぎるww祈祷してまで掘りたいとかw
>>93
節操無さ過ぎィ!
>>93
政敵の息子を食っちまうのが怖すぎだろ
>>93
藤原頼長で大河ゲイドラマをやるべき
>>220
NHK、と言うより一般的なTVで放送出来ねーよw
>>220
NHK大河はこの辺積極的だからな
2chじゃ気嫌いされてた清盛でも何度もホモホモシーンあったろ
上でも書いてるが、信長と利家の仲を出してる大河もある
>>785
あーこの人かw
>>785
まじかー。でも得心した。
男に書いたラブレターが世間に晒され武将涙目
>>76
姉に送ったラブレターが残ってる大名も居るけどな
あと、自分の株あげたいがために日本の軍事機密を外国に漏らしてたアホとか
モノとして残る手紙なんて書くもんじゃない
当時のアナルセックスって衛生的に大丈夫だったのか?
今みたいに綺麗に腸洗浄とかできないだろ
>>128
浣腸は西洋医学が本格的に入るまで無かったらしくて、
江戸期の男同士の遊びでは味噌が付くのも楽しんでたとさ
>>173
昔の歌にも残ってるよな。
お尻の穴にナニを挿して抜いたら、栗鹿の子が付いてきた、ってw
>>128
室町時代の稚児草子だと
丁子油を塗って、張方(ディルド)で拡張して事前準備してるな
武田信玄が春日源助に送ったラブレター
「弥七郎と寝たことはないし、今夜も呼んではいない。そなたを特別に
愛しく思っているのに、疑われるのは心外だ。人目があるので正式に
手紙に書けず、普通の紙に書いたが、明日ちゃんと話す」
数百年後まで公開処刑www
※春日源助
農民の子、信玄に気に入られ30日で側近になり、武将になる
後に高坂弾正虎綱と改名し、川中島の戦いで大活躍
>>158
その逸話を知ってから、将来歳をとって死ぬ前には
身の回りの整理だけはしようと思った
>>158
「ヤりそうになったけどアイツが腹が痛いって言い出したんで、結局はヤってないんだ。」
みたいな事も書いてなかったっけ?w
大河ドラマがゲイドラになってしまう
昔から坊主はホモ
痔という漢字はどういう風にできているかを見ればわかることw
西郷隆盛と大久保利通が稚児の奪い合いをしてたという話も
>>235
このスレ眺めてると、有名どころの偉いさんのゲイ率高すぎw
> ちなみに江戸時代、徳川幕府の5代将軍・綱吉がスパイに調べさせたところ、同性愛(以下、男色)
> の傾向があったお殿様の比率は、日本全国の大名の中で約8%だったといわれています
いったい何を調べさせてるんですかねえ、たまげたなぁ…。
>>246
『土芥寇讎記』という書物で、
各地の大名の評価を秘密裏にまとめたもの
調べた内容は別に殿様の性生活だけじゃなくて、それぞれの藩の財政事情とか様々
江戸のホモネタつったら徳川家光を忘れてはいけないな。
30過ぎまで美少年一筋。正室の美女を処女のまま突き返した筋金入り。
>>277
春日局が頑張って家光に性行させた話が歴史秘話ヒストリアにあった。
>>277
家光さんの場合、成年(相手より年上)になったらタチになるのが普通なのに
いつまで経ってもネコだったという意味でも特殊過ぎるw
>>284
タチが異性性行に移行するのは簡単だけど、ネコだと難しいですね。
春日局が甘やかしすぎた?
>>277
その後女に目覚めたからガチホモ的には裏切り者だと思う
>>277
フジテレビだかの大奥ドラマで、
幕府の人が「上様が男狂いで……」
春日の局が「上様が男狂いで……」
本人が「余は男狂いじゃ!」
の畳み掛けの三段活用は爽快感があったわ
好色一代男とか東海道中膝栗毛とか
当時の文学にも普通に描写されてるしね
いろいろ知ってたけど、改めて見てみるとなんだかすごい…
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